鴉の爪

noteに移行しました。https://note.com/crowclaw109

奴隷の星

前の仕事を辞めて、最低賃金の職場で働き出してから、早3ヶ月が経った。
恐ろしいことに、生活はあんまり変わっていない。精神面ではむしろ以前より余裕がある。財産価値のありそうなもの(車とか)を軒並み売り払ったので、その金が入ってきたのもあるが、この社会はどんだけデフレに対応してるのか、と思う。
収入が相当に低くても、スマホをいじりつつそれなりの生活が出来てしまう。ということ自体、「奴隷的セーフティーネット」というか、貧しい大衆が現状肯定に傾く最大の理由なんだと、改めて知った。
実家の弟は、相変わらず引きこもりを続けている。以前は彼の将来を憂いて色々と余計な老婆心を発揮したのだが、母親も諦めている様子なので、もうこれでいいのかな、と(今になっては)思う。自分のことで心配をかけているのは申し訳ないが。


さて、2014年は大衆の急激な奴隷化が進行した年だった(と私は思っている)。
アベノミクスは、予想通り、富裕層を更に肥えさせ、日本のアメリカ化をより推し進めただけだった(今後もそうなるだろう)。しかし安倍さん本人さえ、大衆がここまで己を支持してくれるとは思ってなかったのではないか。しかも(本人一押しの)右翼的政策に対してではなく、大衆自身を痛めつける経済政策に対して。

はてなブックマーク - Midasのブックマーク / 2014年12月7日

Midas 「個人のブランド化」と言ってたこの人がアベノミクス大賛成なのは当然の展開。ここで声を大にして言っとくがアベノミクス民族浄化以外の何物でもない。後世の歴史書には必ず「エスニッククレンジング」と記される 2014/12/07
Midas アベノミクスは「借金して株を買ったら富を得れると国家が保証します」と主張してる。こんなトンデモはない。それと同時に(それ故に)よほど怠惰な人間でない限りこの誘惑に逆らうのも難しかろう 2014/12/07
Midas 但し狂気とは正に主観的な認識(まさかそんな旨い話がそうそうある訳ない)と客観的な行為(でもとりあえず株でも買っとくか)のギャップのことであって大半の国民「私は懐疑的だけど株は買う」は巻き込まれる 2014/12/07
Midas こうしてみると大きな流れの前には個人などというものはひとたまりもないのだとよくわかる(「スゴい踏み絵を『ふんでみろ』とつき出されてるんだなぁ」と率直に感心してる)。 2014/12/07

ちなみに、私の車を売った金の一部は株の購入資金に充てた。



ゆらゆら帝国坂本慎太郎がニューアルバム「ナマで踊ろう」に発表した曲で、「あなたもロボットになれる」という曲がある。寡聞にしてPVがあるのを知らなかった。アニメは画家でもある坂本の手書き水彩画で作られている。
「ナマで踊ろう」は、「人類滅亡後の地球で、ハトヤのCMだけが流れているイメージで作られたアルバム」らしく、歌詞はディストピア的な未来社会における出来事がモチーフになったものが多い。

眉間に小さなチップを埋めるだけ
決して痛くはないですよ
ロボット 
新しいロボットになろう
不安や虚無から解放されるなら
決して高くはないですよ
ロボット
素晴らしいロボットになろうよ!
日本の二割が賛成している
不安や虚無から解放されるという……

「あなたもロボットになれる」が、よくあるディストピアSFと異なるのは、上記の歌詞がテレビCMを模した体裁で歌われていることだ。
つまり、人々は(全体主義的、管理主義的な政体などによって)無理矢理「ロボットにされる」のではない。「ロボットになること」の素晴らしさを認識し、各々が持つ「自由意思」とやらによって、決して安くはない代償を支払い、自分で眉間にチップを埋め込むのである。ちょうど、生活保護費をプリペイドカードで貰うように

日本の五割が賛成している
危険のランプが点滅している……

誰のものともつかない警句を残して、曲は唐突に終わる。
ゆらゆら帝国時代から、一切政治的なテーマの曲を作らなかった坂本が、このように露骨な作品を作ったことに対しては賛否両論あるようだが、逆の言い方をすると、彼がそこまで言わなければいけないほど事態は切迫しているということだ。
スティーヴン・ホーキングは、人工知能により人類は滅亡するかもしれないと言ったが、SFのテーゼに従うなら、まさしく自らが生み出したものによって人類は滅びるのである(管理社会、情報社会、人権思想……)。

ナマで踊ろう(初回盤)

ナマで踊ろう(初回盤)


NHK クローズアップ現代

風俗店の求人広告です。
寮あり、食事あり。
託児所完備。
シングルマザー歓迎。
今、貧困状態に置かれた女性のサポートをうたい文句にする、風俗店が増えています。

最も貧しい女性に手を差し伸べるのは、今や風俗産業だけになった。これは、(恐らく安倍さんが予期すらしなかった)70年越しの慰安婦制度の勝利と言える。
奴隷はいやだ、ロボットはいやだと、口で言うのは容易い。だが、奴隷になることで、ロボットになることでより豊かな生活が保証されるとするなら、誰がそれに逆らえるだろうか。かく言う私も奴隷ロボとして働いているわけだが。


では、諦めて時代に身を任せるのが賢いのだろうか。外山恒一はこう言っている*1
【総選挙2014】「良識ある不良市民」は議会政治の枠外で「横議・横行・横結」せよ!(外山恒一)|ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来

ニヒリズムに陥ってると批判されることはよくあるし、実際私はニヒリストなのだが、ニヒルとシニカルは似て非なるもので、私に云わせればこの期に及んでまだ選挙に期待している連中こそ(「期待はしてない」などと云い訳を用意している手合いなどは一層ますます)ニヒリズムならぬシニシズムに陥っている。
絶望的な状況を直視した上で自らのとりうる行動を模索するのがニヒリズムであり、絶望的な状況をうすうす察知しながら(しているからこそ)それを直視することを避け無意味なルーティンでやり過ごそうとするのがシニシズムである。
あれこれの屁理屈で投票の意義を説くシニカル野郎は後を絶たないが、選挙結果を左右するのは諸個人の果てしなく軽い「一票」の累積などではなく、マスコミの強力な世論誘導であることは、誰にでも(認めたくないだけでシニカル野郎どもにも)ちょっと考えるまでもなく明白な事実ではないか。


かといって、いきなり路上に出て旗を振るのも何だから、個々人、脱税をしたり引きこもりをしたりすることから始めるのがいいんじゃないだろうか。
一度「反社会的存在」「社会の下層」と名指されたなら、そうではない者にとっては、それらの生存そのものが反逆的なのだから。
民族浄化に消え去ることなく、税金を無駄遣いしながら、来年もしぶとく生き延びていきたい。苦悩や不安や虚無を抱えたままで。

*1:ただし、言いながらも結局、具体的にはデモや選挙外政治行動を言外に示すことしか出来ないのが彼の限界とも感じる。結果的にそれ故「塀の中でぐるぐる回ってるような」旧左翼的なアナクロニズムの陥穽にはまっているのではないか