私の主張「トランスジェンダリズムは存在しない」について補足
こちらのエントリーの補足的な内容になります。
「TRA」も「トランスジェンダリズム」もこの世に存在しません。それは陰謀説です。まずそれを認めて頂かないと。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月24日
このツイートにて、私がブログで述べたような「TRAやトランスジェンダリズムは存在しない」という主張を繰り返したところ、TERFや一部のフォロワーさんから批判を受ける事態になりました。それへの応答として、以下のような補足ツイートをしています。
ご忠言を頂いたので、少し言葉の歴史の説明をこのツリーに付け加えようと思います。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月29日
まず「TRA」という言葉ですが、「トランスライツアクティビスト」とそのまま解釈するなら、確かにトランスライツ運動家は全員「TRA」であり、全く実体のない言葉とは言えません。https://t.co/3ZH5GDlHSJ
しかしそもそもこの言葉自体、TERF側の人間(正確な起源は不明)が「MRA(メンズライツアクティビスト、欧米の男尊女卑主義者への蔑称)」を捩って名付けたものであり、「トランス女性を庇うような奴は男尊女卑主義者」という「スラー(中傷用語)」です。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月29日
よって、語のニュアンスを正確に記述するなら、男尊女卑の目的で活動する「TRA」はこの世に存在しないと結論せざるを得ません。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月29日
次に「トランスジェンダリズム」ですが、運動体として存在しないことはブログ記事に書いたとおりです。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月29日
これの語源は「ジェンダー・イデオロギー」であり、バチカン教皇フランシスコがLGBT叩きのために作ったストローマン論法です。https://t.co/mPVMnUm9QI
よって「悪いイデオロギー」としての「TGism」も存在しないと結論づけざるを得ません。
— 烏丸百九@サンダース主義柄入りミトン派 (@crowclaw109) 2021年12月29日
三橋先生など一部の活動家の方が、自身の活動の表現としてこの語を使用していることは事実ですが、それは全てのトランス活動家が「トランスジェンダリズムの信奉者」であることを意味しないのは自明だと思います。
これに対して、更に以下のブログエントリーにてご批判を受けました。
このエントリーはそれへのご返信となります。
たとえば、「TERF」という言葉は、現在では「radfem」の部分を無視した意味で流通していますね。私が仮に「TERF」である云々の批判を受けたとして、自分は「radfem」ではないと言って、相手の主張の全てを頭から切って捨てたら、どんな意味のある応酬の可能性もそこで終ってしまいます。反トランスの意味で(それもここ日本で)人を「TERF」呼ばわりするのは、確かに少々軽薄かもしれませんが、それはそれとしておいて、相手の言わんとするところに応答することは可能です。
最初のツイートをもう一度読み返していただきたいのですが、私は「トランスジェンダリズム」を「陰謀説」だと述べ、「それを認めよ」とも言いました。
その根拠は、ツイートでも示したように、当該タームが「ジェンダー・イデオロギー」の一分派として作られた造語であり、反LGBT派が作ったストローマン論法であった、という事実を根拠としています。
ここで言う「ストローマン論法」とは、実体の無いものにさも実体があるかのようなレトリックを用いて、「火のない所に煙を立てる」方法を批判的に表す意味で用いています。
ハッキリと申し上げますが、私は日本のほぼ全ての「TERF」と他称されるようなトランスフォビックな人たちとの間に、「意味のある応酬(ができる)可能性」はほぼないと考えています。前回エントリーのタイトル「なぜ対話が不可能なのか」にも示したとおりです。
ストローマン論法をベタに受け止めて、「行きすぎたLGBTイデオロギー運動」のような実体の無いものを、さも実体があるかのように非難・誹謗されても、こちらとしては「少数派の人権に配慮しましょう」というごく当たり前の常識を述べることしか出来ず、「意味のある応酬」は発生しようがありません。
SatoshiさんはTwitter上でよく「ピルとのつきあい方」氏に(好意的もしくは批判的に)言及されていますが、何度も批判しているように、トランスジェンダーに関する彼女の論説にはまともな科学的・医学的・実証的根拠が何も無く、単なる妄想や陰謀説を垂れ流しているだけだと私は認知しています。リプライを頂いた「Ken」氏も同様です。
ブログを読むと、Satoshiさんはむしろ一部フェミニストの反科学的・反実証的な論理を批判なさっている方に見えるのですが(ジョン・マネーの実験は、トランスジェンダーに生物学的根拠がある説の代表的な例でしょう)、この二人のような典型的陰謀論者に何らかのシンパシーや説得性を感じているなら、ご自身の考えを疑って掛かった方が良いように思います。
陰謀論者への反撃を行うために、陰謀論者が無根拠に前提としている陰謀史観(「ディープ・ステート」、「国際的製薬会社」、「TRAのトランスジェンダリズム」etc……)を一切認めない態度を明確に示すことは、相手の土俵に乗らず、科学的で実証的な態度を(私は)取るというstatementも兼ねています。
烏丸さんの過去ツイートをすべて確認してはいないので、もうかしたら違っているかもしれませんが、経産省職員の裁判にはあまり関心をお持ちではないのでしょうか。私は、どちらの立場をとっているかは問わず、トランスについて様々なことを言っている人たちが、この問題を具体的に論じるのがあまりにも少な過ぎると思っています。
経産省の彼女とは相互フォローです。
私は彼女を応援していますが、当該裁判については既にプロ同士が法廷で激しく議論を戦わせているわけで、正直私のような法学素人は立ち入る隙が無いな、と感じているところはあります。
もしも世論のトランスフォビックな傾向が裁判官の心証に悪影響を与えかねないならば、そうした世論に反対していくことが一番彼女のためになるのではないでしょうか。
彼女が争っているトイレの使用権については、ブログにもリンクしたこちらにまとめてあります。
「トランスジェンダリズム=陰謀説」の別の根拠も示してあります。
あれを読んで、(私同様に)「TGism」に批判的な人たちが、それらを妥当な感想だというツイートをしていました。あんなものを読んで、何の嫌悪感も抱かないような人の考えなどを信用できるだろうか、という感想を私は持ちました。
同時に、現実に被害を被っている人がいるという問題に積極的に関わっていこうとしないトランス支持者というのは何だろうか、とも思った次第。
丁度滝本弁護士を批判したのですが、実際に当事者が女性用スペースをどう利用するかなど、プラクティカルな議論がしたいのならば、神原弁護士のように明確に差別や差別主義者に反対し、一切譲歩しませんとハッキリ打ち出した上で、具体的に現状の何が問題で、当事者の方々がどう考えてるのか聞き取りを綿密に行いつつ、話を詰めてかないと駄目だと思います。そうしないと当事者の方々は警戒して、本音を言ってくれないからです。
そしてTwitterやYahooの現状は、あまりに苛烈なヘイトのために、そうした議論が出来る状態にない、というのが私の認識です。
TGについては、今の段階では「よく分かっていない」のが事実ではないか、と私は考えています。それを前提にした上での議論であるべきではないのか、というのが私の現在の認識です。
まとめやブログに何度も示したように、トランスジェンダーに対する科学的・医学的・精神医療的根拠は日夜更新されており、例えばオートガイネフィリア概念なども研究の根本的な部分に疑義が呈されています。
私たちに出来ることは、プロフェッショナルが続けている研究の進捗を追いつつ、デマ情報を非難し、差別に断固として反対し、当事者の方々の手助けになるような具体的な方法論を打ち出していくことではないでしょうか。
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【ここから2022年1月5日追記分】
さらなるお返事を頂いたので、以下追記させて頂きます。
だいたい、「プロ」なんて言っても、あんなとんでもない判決(二審)を下すような者をどうして、無条件に信頼できるでしょうか。これまでの日本の司法を振り返っても、完全に後退したお粗末な判決でした。
例えば、民間企業なら先進的な対応も可能だが、公的な機関である経産省に今の段階でそれを求めるのは無理だ、というようなことを言っていますが、これはまったく逆です。公的な機関こそが先頭に立って範を示すようにしなければならない訳で、そうした主旨の判決がずっと以前に出ていることは、少々本気になって調べればすぐにわかる筈です。
言い訳を致しますと、あの判決についてSatoshiさんが批判的な立場にあるとは思っておらず、不当性については私も全く同意見です。しかしあの判決を受容出来るような方とは、正直言ってまともな議論が成立するとは思っていませんでしたので、故意に回答を避けてしまった部分があります。申し訳ありませんでした。
私もこの問題を本格的に勉強しだしたのは昨年9月頃からで、一審・二審判決ともにリアルタイムで追っていたわけではありませんでした。不勉強を理由に普段のツイートであまり言及していなかったことを重ねて謝罪申し上げます。
ただ、二本目の記事の、
まあ、いい例が経産省職員の裁判に対しての、呆れるほどの無関心です。紛れもない事実がそこにあるのを肝に銘じていただきたいと思います。
これは事実に即していないのではないかと思います。私のフォローしている人限定で10分程度検索したところ、すぐに以下のようなツイート群が出てきました。
経産省職員のトランス女性が、勤務フロアから離れた女子トイレを使うよう制限かけられてた件の裁判、高裁で逆転敗訴となりました。
— 遠藤まめた (@mameta227) 2021年5月27日
昨日ラジオに出てコメントしたので、よかったらお聞きください。https://t.co/Man2CvCgRp
戸籍上、男性だが女性として生きる経産省職員に女性トイレの使用制限をした国の対応を「違法ではない」と判断。
— 上川あや 世田谷区議会議員 (@KamikawaAya) 2021年5月27日
他方、12府省のうち、農水省と国交省は、戸籍上と違うトイレの使用を認めた例があると回答
私も区議会で戸籍変更前から女性トイレ使用を認められていましたよhttps://t.co/TbxQqWRPT5
今回の「経産省職員トイレ使用制限訴訟」の高裁判決(原告敗訴)でも、追認しているように
— 三橋順子 (@MJunko0523) 2021年5月28日
「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上保護された利益である」
という認識はすでに判例となって久しい。
経産省の人に女性同僚が抱く不安ってどこまで正当化できるのだろう。例えば盗撮を行うかもしれないので権利を制限するというのなら職場の同僚を不当に犯罪者扱いしていることになるし、性的指向に関する不安ならレズビアンはどうなるのか、だし。https://t.co/ylJeNjgZ9Q
— 真音 (@maonnote) 2021年5月28日
えっ、逆転敗訴…?。ショックだし言葉が出ない。経済産業省の対応は明らかに最低だったのに。差別国家日本では裁判でさえ差別が起こるのか…。 https://t.co/KBfAgRtVrN
— ぐち香🏳️⚧️🍋@性別アンチ (@Cafeguchica) 2021年5月27日
経産省のトランスジェンダー女性に対する態度は、紛れもない差別です。
— Ringo ⚢ (@R88088595) 2021年6月11日
もちろん、原告による各種の差別発言や冷笑的態度はこれからも批判されるべきだと思います。それでも、たとえ普段の言動に問題のある人物であろうとも、人権まで侵害されて構わないということにはならない、それだけのことです。
より探せばもっと見つかることでしょう。何れもRT・いいねともに多く、「TRA」とよく呼称される主要な人々がこのように一斉に批判的に言及していましたので、「呆れるほどに無関心」はいくら何でも言いすぎではないかと思います。
世論から圧力をかける必要性については理解出来ますが、現状裁判が進行中であり、新たな報道も無い以上、METIさんのツイートを拡散・言及しつつ最高裁判決での逆転勝訴を応援する以上に、Twitterの「TRA」が何か有益なことを出来るかは疑問です。
前にも書いたように、某カカシさんなどが主張されるのとは逆に、男女含めたトランスジェンダーの人たちの方がずっと犯罪被害にあいやすいのが現実です。
男たちがウヨウヨしているような場所に、トランス女性が入っていくのですか? トランス男性が入っていくのですか?
それは、まさに恐怖そのものなのではないかと私には思われるのですが、そうした受け取り方は非常に特殊で稀なものなのでしょうか。
烏丸さんの想像力の働き具合が、私にはまったく理解できません。
所謂オールジェンダートイレについて誤解なさっているのではないかと思います。私や他のトランスアライ派の主張するオールジェンダートイレは西欧諸国で現在施設が進んでいる、単なる男女混合の所謂「共同トイレ」とは似て非なるものです。ブログでもリンクした岡田育さんのこちらのツリーがわかりやすいと思います。
続)NY某飲食店の地下にあるトイレ。階段下りるといきなり個室四つ、鍵付き個室扉に何の標識もない超シンプル構造。男女混合で並んで空いた順番に入り洗面台は共用。化粧直しを異性に見られたくない派は嫌でしょうが私は支障を感じない。車椅子用は一階に別途ある。日本の飲食店でもたまに見る作り。 pic.twitter.com/hZExJiDC3V
— 岡田育 / 『我は、おばさん』発売中 (@okadaic) 2017年7月15日
このように、構造・設置ともに防犯性や使いやすさに気を配ったものが「オールジェンダートイレ」であり、「男もウロウロしている危険なトイレ」というのは実態に即していないと思います。シス女性もインクルージョン出来なければ設置自体が無意味ですので。
「オートガイネフィリア概念」のどこがオカシイのか、お聞きしたいところです。
以下はリンクしたWikipediaから、「オートガイネフィリア」概念がDSMでどのように扱われてきたのかの記述を翻訳したものです。
1980年に発表されたDSM-IIIでは、「その他の精神性障害」の下に「302.5 性転換症」という新しい診断が導入された。これは性同一性障害の診断カテゴリーを提供する試みであった[50]。診断カテゴリーである性転換症は、身体的および社会的な性の状態を変化させることに少なくとも2年間の継続的な関心を示した性同一性障害者のためのものであった[51]。 サブタイプは、無性愛者、同性愛者(同一の「生物学的性」)、異性愛者(他の「生物学的性」)、および不詳であった[50]。以前の分類法(カテゴリー化のシステム)では、クラシック・トランスセクシャルやトゥルー・トランスセクシャルという用語が使われており、かつては鑑別診断に使われていた[52]。
DSM-IV-TRは、性同一性障害の「関連する特徴」[17]として、また異性装フェティシズム障害における一般的な出来事としてオートガイネフィリアを含んでいたが、オートガイネフィリアそれ自体を障害として分類してはいない[53]。
モーザーは、臨床的な性同一性障害の兆候としてオートガイネフィリアを含めることに疑問を呈する3つの理由を提唱している。(1)オートガイネフィリアに焦点を当てることで、性同一性障害に関わる他の要因が影を潜め、性転換を求める患者が従わなければならない「新しいステレオタイプ」を生み出している可能性があること、(2)理論の支持者の中には、理論に基づくタイプ分けと一致する性的関心を報告しないトランス女性は、勘違いしているか「否定している」と示唆する人がいるが、これは失礼であり、潜在的に有害であること、(3)理論は「すべてのジェンダーの表れは(性的指向にとって)二次的なものである」ことを示唆する可能性があること[25]。
レイ・ブランチャードが議長を務めるDSM-5のパラフィリア作業部会は、2010年10月のDSM-5のドラフトにおいて、異性装フェティシズム障害の仕様として、オートガイネフィリアを伴うものとオートアンドロフィリアを伴うものの両方を含めた。この提案には、世界トランスジェンダー健康専門家協会(WPATH)が、これらの特定のサブタイプに関する経験的な証拠が不足していることを理由に反対した[11][12][10]: オートアンドロフィリアはマニュアルの最終草案から削除された。ブランチャードは後に、当初は性差別との批判を避けるためにこの項目を入れたと述べている。2013年に出版されたDSM-5では、302.3 Transvestic disorder(異性装の空想、衝動または行動からの強い性的興奮)の指定子として、With autogynephilia(女性としての自分の考えやイメージによる性的興奮)が含まれており、もう1つの指定子はWith fetishism(布地、素材または衣服への性的興奮)である[55]。
要するに、現在の最新版のDSM-5では「オートガイネフィリア」は「性同一性障害(性別不合)の要因」ではなく「異性装フェティシズム」の一種として扱われるのが適切である旨の批判が行われ、その通りになった、ということです。DSMに従い、現在の標準的なトランスジェンダー医療において「オートガイネフィリア」は診断基準から除外されています。
よって、当概念があくまでも「トランスジェンダー」の説明として理論化されたもの、という主張を続けるのならば、現状は「根本的に疑義が呈されている」と言って過言ではないと思います。
一つの思想ですから、それを批判するためには内容について検討する必要があります。その考え方のどの点が問題なのか、どこが差別的だと思われるのか、そうしたところを論じなければなりません。
頭から「差別主義」だと決めつけて、そのラベルを貼り付けることですべてを終えたように思うのでは、批判ではなくただの罵倒になるだけです。
ともかく、ジェンダー・クリティカルな人たちは「差別主義」なるものを奉じているわけではありません。「差別主義者」というのは「差別主義」を奉じる人たちを意味するのですから、つまりは、そんなものは存在しないということにならざるを得ないのです。
ジェンダー・クリティカルはその根源が(無自覚な)シスセクシズムに基づいていますから、彼らは全員シスセクシスト=トランスジェンダー差別主義者です。これはErinさんが過去にブログでも書いています。
誰かのジェンダーアイデンティティを否定することはミソジニーと密接に結び付いています。
誰が「男性」や「女性」であるかを決めるのは貴方ではありません。
もし貴方がトランス女性を「本物の」女性だと思えないなら、貴方は何が「女性らしく」て何がそうでないかをコントロールする家父長的な価値観に捉われているからなのです。
あのですね。私にはあごひげがありますし、足を広げて座りますし、船乗り並に言葉使いが悪いです。絶対に「女性らしい」とは言えないことばかりですよね。だからといってあなたはお前は女性じゃないと私に言うんですか?
その人が自分は女性であると言ったら女性なんです。貴方には女性性について云々言う権限なんてないんです。それ以上ごたごた言わないでください。
それにですね、ジェンダーは二つしかないと主張すること自体がミソジニスティックなんです。Gender binary(個々の人間がもつ多様性を「男性」か「女性」の二つにカテゴライズすること)は家父長制のメイン武器です。全ての人は二つのうちのどちらかのジェンダーに属するべきだという考え方は、多くの人に疎外感を抱かせ、不可視化されたと感じさせ、不安にさせます。
「差別的な思想を奉じる人」は、現代の民主主義社会では「差別主義者」は「悪」だと広く教育されていますので、いたとしてもネオナチ等、極少数の特殊な人々に留まるかとは思いますが、上のブログに紹介されているような「セクシズム(性差別主義)」は男女問わずあらゆる人間が無自覚に内面化しているものであり、殆どの場合彼ら彼女らはまさか自分が「差別主義者」だとは思っていないものです。
現在のすっかりジェンダークリティカルにハマってしまったErinさんが最も分かりやすい例ですね。
「こんなに嫌われているフェミニスト!」などという反フェミニズム言説が昨今流行していますが、そりゃ「自分が悪だと思っていない最もドス黒い悪党」を「お前は悪」と名指してしまう人たちはいつの世の中でも嫌われてしまうものだと思います。問題は、アンチフェミニストが自分のことを「フェミニスト」だと「自認」してしまうことです。
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【ここから2022年1月7日追記分】
更なるエントリーにお返事します。
「トイレ問題について」は意見に然程相違が無いようですので省略します。
アビゲイル・シュライアー(シュリアーではありません)さんの本を評価する書評を、リサ・リットマン(ライトマンではありません)
お名前の間違いをご指摘頂き有り難うございます。文章訂正致しました。
この人たちの書いているのは「こういう対応をすることになっている」です。実際に、少女たちがクロスホルモンやら何やらを手に入れているかどうかは、保証の限りではない。そして、そもそも統計が圧倒的に不足しているのですが、アビゲイルさんを否定する統計だけはあると言っている。
また、手術に至らないホルモン治療だけならreversibleみたいなことを言ってるのも無責任です。人間の成長には、自然に設定されたタイミングというものがあります。それを一時的にストップして何の害もないと考える方がおかしい。
これは当該論文の内容に対するものとして、あまりに粗雑で誤った批判だと思いました。
まず、「アビゲイルさんを否定する統計だけはあると言っている」のではありません。文中では、
まず、統計がないというのは事実ではありません。もしそれが事実であれば、発生率が増加していることをどうやって知ることができるでしょうか?この2つの主張は、シュライアー氏の著書から引用したものと思われますが、互いに矛盾しています。結局、どちらも間違っています。
とあります。この記述が正しければ、アビゲイル・シュライアーは互いに相矛盾する二つの主張を同時に自著で展開しており、客観的な証拠に基づいて確認すると、その両方が誤りであると判明した、ということです。
さらに、「手術に至らないホルモン治療だけならreversibleみたいなこと」も言ってませんよね。本文では、
この基準は、完全に可逆的な介入に関するものです。クロスセックス-ホルモン療法を含む部分的に可逆的な介入には、評価とインフォームドコンセントに関するより厳しい基準があります
とあります。つまりホルモン治療は「リバーシブル」ではなく、「部分的に可逆的な介入」と見なされるからこそ、厳しい基準が要求されると言うことです。
人間の成長には、自然に設定されたタイミングというものがあります。それを一時的にストップして何の害もないと考える方がおかしい
本文には記載がありませんが、二次性徴抑制剤として一般的に使われるGnRHアゴニストは、思春期早発症の治療薬として臨床的に使用されてきた歴史があります。
そもそもプロの医師が安全と認識しているものについて「何の害もないと考える方がおかしい」と無根拠に断言する方がおかしいと思いますが、Satoshiさんは具体的にどのような「治療」が行われていると想像していたのでしょうか。
バック・エンジェル(いちおうカタカナでも結果が出てきました)が語っていた(という)ところによると、エストロゲンの不足によって(更年期が急激にやってきたようなものでしょう)子宮萎縮を起こして、殆ど死にかけたことがあるそうです。子宮が子宮頸と癒着して、痙攣を起こし、死の寸前の状態で病院に運び込まれたということなのですが、お医者さんはそんな可能性については一言も言ってなかったとか。
これは典型的な「逸話」ですね。n=1でトランス医療全般を否定するのはあまりに無理のある強引な議論です。
私たちは、結局のところ、二次、三次の情報しか入手できないわけです(エピソード的な事実をほんの少し経験することが出来ても、その事実の全体的な位置付けができないと、かえって偏った信念に凝り固まってしまうことにもつながります)。
で、いくつかの互いに矛盾する(敵対しあうといってもいい)情報があったとき、どのような判断のもとにそれを受け取っていくかです。そこに関係するのは、蓋然性の概念ですね。
単純に言ってみるならば、利害関係者の言葉と、直接の利害関係を持たない者の言葉のどちらをより信用できるか、です。
その考え方は間違っていると思います。そのような恣意的な相対主義に基づくと、全てが利害関係者かどうか≒党派性として「どっちにつくか」の問題になってしまい、結局政治的問題として議論が回収されてしまいます。ネットで繰り広げられている「トランスジェンダー問題」について、私が「陰謀論」「偽の議論」「ストローマン論法」と言いまくっているのはこういう傾向に対してです。
Satoshiさんは経産省トイレ裁判の高裁判決について「素人でも分かる明白な不当判決である」と判断していました。そのご判断は正しいと思いますが、それは国と原告の「利害関係」を見比べてみて出した結論でしょうか? 違うでしょう。法学的にどちらが正しいかの価値判断がまずあったはずです。トランスメディカルについても同様に、まずは医学的・科学的にどちらが正しいかを我々自身が判断し、「利害関係」についてはその後で議論すればいい話です。
そして、私が翻訳した文章において、「医学的・科学的に正しい主張」がどちらの側であるかは、「利害関係」を顧みずとも明白であるように思います。そこに党派性は関係ありません。そして文章が誤っていると証明したいならば、同レベルのエビデンスと科学的提言を反証としてぶつける必要があります。シュライアーは現時点でそれを行っていません。
Satoshiさんに限った話ではないのですが、「トランスジェンダー問題」について議論する人々には、顕著な科学不信・医学不信・社会不信の傾向が見られることがあります。個人の信念として科学や医学を否定するのは勝手ですが、医師でも無いのにそれを他人に押しつけるのならば、反ワクチン等と同様に反社会的で危険な主張として、「出版差し止め」のような緊急的な措置が取られる場合もあるのではないでしょうか。
訳のわからないジャーゴンを羅列しただけではありませんか。
意味がわかりますか、こんなの?
どれもフェミニズムにおいては初歩的な用語で、全然難しくないと思いますけど。「家父長制」の言葉の振れ幅が大きいのは事実ですが、ここではパターナリズムと読み替えて良いでしょう。「出生時に確認した性のみが「正しい性」である(性別二元論)」という主張は、出生した赤ちゃんの自由意志を無視している点で明白なパターナリズムです。
むしろ私はSatoshiさんの挙げた「スーパー・フェミニン」などの用語の方が聞き覚えがありませんでした。誰がそのような主張をしているのでしょうか。
パターナリスティックな態度が即ち父権的で女性蔑視的であることが「分からない」「納得出来ない」というのであれば、確かにErinさんのブログは理解不能かも知れませんね。私はラカンの「父の名」という言葉を知っていたので、すんなりと受け入れる事が出来ましたが。
まあ、フェミニズム的・精神分析学的な議論をせずとも、翻訳した文章にあったとおり、医療的・科学的に「人間の性別は男女2パターンしかない」のは明らかに誤りなので、その認識を訂正出来ない人は私の基準からすると「自分が「正しい性」だと思っている」人、つまりは性差別主義者です。
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【ここから2022年1月8日追記分】
結局陰謀論的な方向に行ってしまわれたようで残念です。
????です。
だから、その数も含めて、実態を把握しようと努めたのが、アビゲイルさんの本そのものなのではないですか。
評価しようとする本の、そもそものテーマ自体が分かっていない唐変木が弁明文を書いた人たちなのです。
烏丸さんは、そんなエラーイ人たちの言葉を鵜呑みにして、「よく分かってないシモジモ」に対して警告を発したりしたのです。
偉い人たち(シュライアーやホール博士)の言い分を鵜呑みにして、まともに再検討すらしてないのは貴方の方でしょ。だから私のコメントの意味が分からないんですよ。申し訳ないのですが、科学的思考の基礎が身についていないんだな、と思わざるを得ません。
いいですか、ノヴェラとゴルスキーが、ホール博士への反論として持ち出しているデータは以下のようなものです。
27件の研究と7,928人のトランスジェンダー患者を組み合わせた、性別適合手術後の後悔に関する2021年のメタアナリシスでは、プールされた有病率は1%です。
2018年に外科医を対象に、自身の患者の統計について調査したところ、GASを受けた22,725人の患者のうち、後に後悔を表明したのは62人だけで、そのうち性自認が変わったからと答えたのは22人だけでした。残りの理由は、家族との衝突や手術結果への不満などが挙げられています。
トランスジェンダーの人がどれくらい存在するのかは諸説ありますが、大体全人口の1%程度だと言われています。アメリカ合衆国の人口は3.2億人程度ですので、トランスジェンダーのアメリカ人は320万人ということになります。結構いますね。そして上記の22,725人という数字をこれに当てはめると、アメリカ人トランスジェンダーのうちの0.68%ということになります。一見少ない数値に見えますが、総人口へ単純に当てはめるなら、3.2億×0.68%=約217万人です。
よってこのデータは、アメリカ人全体に対する何らかのアンケート調査を取る場合、「アメリカ人217万人に聞きました!」と同程度の信頼性を持つことになります。
もちろん、トランスジェンダーという特異な少数派についての調査ですから、人種・富裕度・政治的左右等にかなりのバイアスが掛かっているかもしれません。しかし、これほどの大規模調査を「誤診の可能性」を持ち出すなどして、「ヘ理屈」「まったく状況を把握していないし、その意欲もないことを示しているばかり」と「切って捨てて」しまうのは、全くもって科学的な態度ではないと私は思います。
ノヴェラとゴルスキーが、トランスメディカルに関してどれほどの知識を持っているかは、ここでは関係ありません。統計は単に科学的エビデンスの強度を示しているからです。
よって、ホール博士やシュライアーがノヴェラとゴルスキーを論破するためには、以下の二つの方法しか残されていません。
①統計調査そのものがウソや改竄されたものであると客観的に証明する。
②別途独自の統計を取り、数値が誤っていることを立証する。
私はホール博士の文章も読みましたが、今のところ、①も②も試みられている形跡はありません。
「後悔」の度合いを高く見積もって(別の統計では3.8%が後悔しているとありましたから、それらの人々に聞けば多数の「逸話」が集まることでしょう)失敗や後悔の事例をいくつ定量的にかき集めたところで、それが「治療を受けたトランスジェンダー全般に対する調査」でなければ、統計として意味のあるものにはなりません。
反トランス派は、こうした反科学的な手法によってセンセーショナルに一部の失敗事例を騒ぎ立て、96%以上の治療に満足しているトランス当事者を侮辱し、間接的に医療へのアクセスを妨害しています。その反社会性は、「公共の福祉」の観点に立てば、「表現の自由」の制限を検討するに足る十分な理由であると私は思います。結局、シュライアーの本は「検閲」されず、貴方のような人に信じ込まれるに至ったわけですが。
ついでに。
薬害エイズ事件について、事件当時非加熱製剤の危険性に関する確固たるエビデンスが確立されていなかったのは事実です。しかし1984年にはHIVウイルスが同定され、同年9月には加熱によってウイルスが死滅することを立証する論文が発表されています。にもかかわらず、安部英はじめとする医学者や厚生省は、非加熱製剤に関する利権を守るため、最新の科学知見を取り入れることを拒否し、古い理論に基づいて80年代後半まで非加熱製剤を使い続けました。業務上過失致死事案は85年と86年に発生しています。84年の時点で非加熱製剤の使用を直ちに取りやめていれば、悲劇が起きずに済んだのです。
同事件を本件に当てはめた場合、自分がどちらの側に立っているのか、今一度よく考えてみることをお勧め致します。
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【ここから2022年1月9日追記分】
キリがないのでこれで終了と致します。
先に敬意を表しておきたいのですが、私はSatoshiさんの優しさを否定しません。どんなに少数派であっても、トランス医療の「被害」を受けた当事者がいる以上は、言を重く捉えて、伝えようとする人も社会には必要なのかも知れません。
でも、その上で申し上げれば、貴方の議論は全て「木を見て森を見ず」「針小棒大」の視野狭窄に陥っていると思います。一人一人のトランジションの経験を重視することと、トランス医療の総合的な「信頼性」を推し量ることは両立可能です。私が言ってるのは後者の話であって、Satoshiさんは前者です。そして、前者を用いて後者を否定することは原理的に不可能です。
要するに、彼らの言っているのは、トランジションする必要のない人たちが介入を受けているのは問題だということです。社会的な移行についても言えるのですが、特にホルモンや手術を経験した人たちに、逆行不可能な変化があったのは明白です。それを可能な限り防ぎたいというのが、上述の人たちの言い分なのです。
統計的に4%弱の人々の経験を持って「危険」だと言えるなら、外科的介入を伴うほぼ全ての医療は「危険」でしょう。ワクチンだって「危険」ですよ。
そして貴方は善意で言っているのかもしれませんが、シュライアーを含む殆どの反トランス派は明白な悪意を持ってそうした話を広めています。彼らがトランジションを「可能な限り防ぎたい」のは当事者のためを思っているからではありません。
烏丸さんにとって、人間は身体をもった具体的な存在ではなく、ただの数字に過ぎないのではないかと、私は疑います。どんな被害も、膨大な数字を立証しない限り、ただの「逸話」に過ぎないとしているからです。私の受け取り方は間違っていますか?
はい、間違っています。人間は個別具体的に尊重されるべき存在ですが、科学や医学は学問ですから、その妥当性や信頼性を総合的に検討することは、数字の問題です。個人的な感情の問題ではありません。幼いトランス当事者がいくら要望しようとも、ジェンダーアイデンティティが決定する思春期前の医療介入が正当化出来ないのと一緒です。
当たり前に考えることができませんか?
トランスジェンダーの人たちの多数派は、医療的介入を受けていない層でしょう。ホルモン投与も手術も、まったく念頭においてない人もいるでしょうし、迷っている人もいるでしょう。
この人たちに対してできることは何か。
正確な情報を提供して、彼らの判断を補助することです。
そのために実際に多数の患者に接してきた医療従事者の言では無く、悪意剥き出しのジャーナリストの本を薦めるのですか。ひどい冗談です。シュライアーはこういう人だと分かってて言ってます?
ジェンダー・イデオロギーを考える方法は、批判的人種理論の兄弟だということです。批判的人種理論は学校に行って、白人の子供たちに肌の色の原罪を背負っていると説得します。ジェンダー・イデオロギーは、同じ学校に行進し、幼稚園児に(そう、私の住むカリフォルニア州の公立学校ではずっとそうしています)、性別にはたくさんの種類があり、誰かが自分は女の子か男の子だと推測したとしても、自分の本当の性別を知っているのは自分だけだと伝えます。
なぜ先生は幼稚園児のクラスに、自分の本当の性別は自分しか知らないと言うのでしょうか?小さな男の子に「本当は女の子かもしれない」と言い、小さな女の子に「本当は男の子かもしれない」と言うことを正当化する理由は何でしょうか?
その答えの最大のヒントとなったのは、医学的移行を受けて後悔した若い女性たち、つまりデトランジショナーの存在でした。彼女たちは何度も何度も、移行中は怒りっぽく、不機嫌で、政治的に過激だったと話してくれました。
彼女らは、家族との関係を断ち切り、LINEでトランスジェンダーのインフルエンサーから指導を受けて、新しい "キラキラした家族 "に向かって突進していくことが非常に多いのです。アンティファやブラック・ライヴズ・マターの集会では、ジェンダー的に混乱した人々をよく見かけます。生まれ育った家族に反旗を翻した彼らは、革命家を募る人々の格好の餌食となっています。
別の言い方をすれば、「混沌としていることが重要」なのです。批判的人種理論の目的がアメリカ国民を互いに敵対させることであるように、ジェンダー・イデオロギーの目的は、アメリカ生活の構成要素である安定した家族の形成を阻止することです。何度も言いますが、これはトランスジェンダーの人たちの目標ではありません。しかし、それはジェンダーイデオロギーとトランスジェンダー運動の目標であり、すなわち、革命に参加することを熱望する新たな被害者層の創出なのです。
彼女の思想は、私がずっと批判し続けてきたキリスト教右翼そのものです。
私がKen氏を信用しないのも、宗教差別がしたいわけではなく、明らかにキリスト教右翼に近しい思想を持っていながら、自身の信仰を明確にせず、反「ジェンダーイデオロギー」を繰り返し主張し続けているからです。
当たり前の話ですが、イデオロギーで性自認や性的指向は変わりません。その事実は科学的に立証されています。ノヴェラとゴルスキーの語っていたとおりです。本当にトランスがイデオロギー的な問題なら、世の趨勢を受けて「(医療を受けるか否かに関わらず)トランスジェンダーをやめる」人が続出することでしょう。「検閲」が行われなかったにも関わらず、如何なる国でもそんな事態は起きていません。ヘレン・ジョイスの「Trans」がベストセラーとなり、JKローリングが英雄視されるイギリスでも、トランスジェンダー当事者の数は減っていません。
「右翼」と言いましたが、私がシュライアーやJKRやKen氏を批判するのは、党派性やイデオロギーや信仰の問題ではありません。(JKRはリベラル派です)
彼らが、自らの党派性やイデオロギーや信仰を正当化するために、偽の科学をばら撒き、医療への信頼を毀損し、当事者を侮辱し、世界中にトランスフォビアを蔓延させているからです。
その事実と向き合えない方とはこれ以上お話しすることはありません。